紙一重
熊本地震で大騒ぎである。
Facebookを見てると、意識高い系の人々がよくわからないネットニュースを装ったブログに「いいね!」したり、ウォールに流し込むから、ついつい暇つぶしに読んでしまう。
ある時「祈ることしかできないなんて言ってないで、寄付なりなんなりしろ」(意訳)という駄文を読んだ。
最近、少し怖いなあと感じるのは、言葉の裏側を読み取れない人が増えていること。
「祈ることしかできない」という人はもう寄付してる。でも、被災者の本当の気持ちを慮るには、安全な場所にいる自分の立場では上から目線すぎる。
だから「祈ることしかできない」と言っている、と思うんだけど。この字面通りの行動しか取られていないと決めつけて、あの意識高い系ブロガーは駄文を書いたのだろうか。
言葉の裏が読み取れないという障害があるというのは知っているのだが、あまりにも行間を読めない人が増えていると感じるのはなんなんだろう?
不勉強と障害が紙一重で、努力している障害者がかわいそうに思える。
しかも「寄付をしました」と言えば叩かれて、この世界は黙っていたほうが得なようだ。
だから私は黙って寄付して祈っておく。ここに書いていることは内緒だよ。