キタナイキレイ
むかーしむかし。歳の離れた兄から尋ねられた。「飯島愛と細川ふみえ、どっちがいい?」
確か、ふたりで日曜の昼間にスーパージョッキーを観ていたのだ。
小学生の私は「飯島愛」と答えた。兄は「なんで、キタナイ女だぞ」と言ったあと、しまった!という表情で口ごもった。
当時の私には、飯島愛がAV女優だったという情報もしっかりあった。ただ単に細川ふみえが嫌いだっただけなのかもしれない。
その境目の汚さってなんなのかしら、ね。
いわゆるアラフォーというものになって、思い返すと私は今もやっぱり「飯島愛」と答える。汚れる勇気、他人から向けられる容赦ない目線に耐えられる力、羨ましい。いまも生きていたらどんな言葉を残すだろう。
なんでこんな大昔の話を思い出しているかというと、コンビニで橋本マナミが表紙の雑誌を見たから。
ええ、壇蜜のほうが好きなのだ。壇蜜が汚していった世界の一部に乗っかっているだけの人に見えて好感を持てないのだ。
彼女たちは一般的に兄がうっかり放った本音「キタナイ」のかもしれないけど、私には、そう呼ばれることを厭わなかった彼女たちのほうがキレイに見えている。
悔しかったら
悔しかったら私より素晴らしい人間になればいい。
私よりずっと仕事に誠実で努力もして、人間的にも寛容で素晴らしい人間になればいいのよ。
そうじゃないから、私はあなたが嫌いだしそっと距離を置くの。
私はあなたに嫌われても、痛くもかゆくもないもん。
私より何もかも素晴らしい人に嫌われたらダメージ強すぎるけど、あなたは平気。
悔しかったら、私より何もかも素晴らしい人になればいいのよ。
そしたら、私はなんて素晴らしい人に嫌われてしまったんだろうって、地団駄踏むから。
想像すると楽しいでしょ。地団駄踏んでる人なんてそうそう見ないでしょ?
私より何もかも素晴らしい人は、私なんて歯牙にもかけないでしょうけどね。
悔しかったら私より素晴らしい人になればいいのよ。
そうしたら、きっと人生楽よ。
周回遅れ
中学校の体育の時間は、手始めに背の順で2列に並んで体育館を走る。何周していたかは覚えていないけど、掛け声をかけあいながら走る。
私は背の順だと真ん中より少し後ろ。
その日はやたらとペースが早く、太っていて足の遅い私は、なんとか足を上げて付いていくのがやっとだった。
途中で私のハチマキが飛んだ。
(私の通っていた学校の体育は、校章がプリントされた、裏表で紅白になっているハチマキが標準装備だった。いまは知らない)
ハチマキを取りに行って振り返ると、ペースの早い同級生たちは半周向こうで走っていた。
急いで追いつこうと走ったけど、追いつけなかった。
あちゃーな思い出。
大人になって、ふと思う。一生懸命走っている時はいい。一度立ち止まってしまうと、追いかけていたものを再び追うのは難しい。
立ち止まると、もう執着心がなくなっていることに薄らと気づいている。気づいているのに走らないといけないという、よくわからない意地が現れる。
それまでの走り方では追えないことは分かっているのに。
愛しているわ、ダーリン
なぜか、夢の中でキスをすると苦くて気持ち悪いことが多い。
キスをして舌が入ってくると、魚のはらわたのような苦い味が口の中に広がるのだ。
味がわかる夢なんてそうそう見ない。
この間、仙人さんとキスをする夢を見たら、苦くなくて(甘くもないけど)、ホッとする夢を見た。
キスする夢というか、セックスする夢だったけど。
入れられて口も塞がられると気持ち良い。
恩を感じる
「恩」には重みがあるのではないかと、最近考えている。
借金がかさめば生活ができないように。
私の好きなアイドルが屈折10年以上を乗り越えて、陽の目を見ることになった、なりつつある?ある時から「恩返しがしたい」と事あるごとに口にするようになった。
その言葉を聞くたびに思い出す人がいるのだ。
アイドルの彼女たちには自分たちの「いま」がさまざまな人々から受けた恩から成り立っているのを強く感じているのかもしれない。
思い出すあの人は、それを感じられない人のようだった。
恩には重みがある。重みがあるから、存在を感じられるのかもしれない。
だから、私たちは恩のラリーをする。人生はその連続だ。恩を受けたお返しだ、そのまたお返しだ。恩は「信頼」の連鎖になる。
あの人は恩をラリーすることなくキャッチングしたまま。次第に周りから人がいなくなった。
私の頭の中では重く肩にのしかかった恩があの人を潰してしまったという想像をしていた。
私も離れた1人なのだ。
恩は手元に置いておきっぱなしにしていると重くなる。渡す恩はそんなに無尽蔵に湧き出るものではなく、そして彼の人がラリーしなかった恩のために、手持ちの球ならぬ恩がなくなった周囲の人間が去っていったのだ。
私はその人に恩を感じて恩を返していたが、いつしかそこまでしてやる義理もないなと、去ることにした。
その後も同じことを繰り返していたようで、噂に聞くたびに「恩」の存在が怖くなった。
返さなかった恩は、重みでその人間を地中に沈めるのだ。
恩は怨に変わるのかもしれない。